仏教徒は私たちに、いまこの瞬間にしっかり目覚めていなさい、と告げる。
「風や蝉(せみ) や冷たい雨のように、この瞬間はそこにあるから、それとともにありなさい……」と、トニ・パッカーは彼女の著書の中でアドバイスしている。
子供たちを学校まで送ってから、あるいはオフィスから帰ってから、
家で日常的な雑用をしているその動作が、渦を巻く風のごとく、難なく落ちる雨粒のごとく造作ないものであったなら、
そして単調な毎日を苦々しく思うあまり、もっと結婚に対して魅惑的な未来の妄想に耽ることがなかったなら、どんなにすばらしいだろう。

すべての瞬間を受け入れようと大いに努力しているときでさえ、どこへ行くにも送り迎えが必要な子供たちとすごす毎日-それも自分自身の仕事をこなしながら-は積み重ねられて、見わけのつかない週のかたまりから、見わけのつかない数カ月になっていく。決まり切った日常が繰り返す。

目覚め、着替え、子供たちを着替えさせ、朝食を食べさせ、朝食の後片づけをし、子供たちを学校へ送り、自分の仕事を彼らがいないうちにできるだけ多くこなし、彼らを迎えに行き、サッカーやピアノや歯の矯正に連れて行き、家にもどり、夕食を作り、床にこぼれた食べ物をかき集め、宿題を見て、おふろに入れ、渡かしつけ、それから下へ降りてきて、キッチンを片づける。
明日のお弁当を作り始めれば、どうせまた汚れることはわかっているのに。
フェイもスタンを愛していることは、彼女の口ぶりから察することができます。そして、スタンにほんの少しの援助の手を差しのべるだけで、彼の共感能力も高まるにちがいないと思うのです。

出典: